土用の丑の日とウナギは全く無関係です。
江戸時代半ば、平賀源内がウナギ屋の依頼で、店頭に
「本日土用の丑の日」と書きました。
昔から夏痩せにはウナギが良いといわれていた事と、その日が
土用の丑の日であったと言う事なのですが、有名な先生がお書きになった
この日のウナギには
何かあるに違いないと人々の関心を集め大いに売れたという話が
始まりだとする説があります。(平賀源内ではなく大田濁山人であるという説もあります)

もうひとつ、春木屋善兵衛の話があります。文政年間の夏、ウナギ屋である
春木屋善兵衛は藤堂の殿様から大量の蒲焼の注文を受けました。
土用の子の日、丑の日、寅の日の三日に渡りウナギを焼き、
それぞれを床下に貯えて一週間後に出してみると、丑の日に焼いた
ウナギだけが悪くなっていませんでした。
そこで、丑の日の蒲焼が最も良いとして殿様に届け、
それを店の看板にしたという話です。

この蒲焼、文化・文政以前はウナギを割かず、
一尾そのままを口から竹串を焼いていました。
その形が蒲の穂に似ているため、蒲焼と言われるようになったとも言います
蒲焼がうな丼として登場したのは、芝居小屋を経営していた
大久保令助が発端でした。
彼はだいのウナギ好きで毎日蒲焼を取り寄せていました。
当時はウナギがさめないように糠が使われていましたが、
この糠が食べるときに邪魔でした。
そこで、温かいご飯の間に蒲焼を挟んで入れたら、蒲焼もさめずに
美味しく食べられたというのが、うな丼の始まりです。
彼が有名人であった事と言う事もあり、このうな丼はあっと言うまに
広まったのです。
一般に広まったとはいえ、当時、蕎麦の値の十倍もしたウナギを食べるのは、
駕籠に乗るのと同じ贅沢と言われました。
ウナギ屋の店頭に立ち、蒲焼の匂いでご飯を食べいた人もさぞかし多かった事でしょう。

土用の丑の日の話